現役を引退してから10数年。意外なところで才能を発揮している元力士がちょっと話題とのこと。その方の名前は田代良徳(四股名は東桜山)さん。相撲界を去ってからの華麗なる転身。本人も気づけなかった才能とは?
目次
東桜山力士は強かった!
東桜山関のプロフィール
名前:東桜山 勝徳(とうおうやま かつのり)
本名:田代 良徳(たしろ よしのり)
生年月日:1976年7月13日(33歳)
出身地:東京都八王子市
身長:188~189.5cm
体重:164~180kg
血液型:?
最高位:幕下7枚目
所属:玉ノ井部屋
引退:平成19(2007年)9月場所
元東桜山関が相撲を始めたのは小学校2年生のことだそうです。
きっかけは回りの人達の声。
「体が大きいのに何も活かさないのはもったいないよね。」
詳しい情報はありませんでしたが、小学校2年生男子にしては
身長が150cm以上、体重60kg以上くらいはあったのではないでしょうか?もうほとんど中学生?
そして、両親と担任の先生との話し合いで地元の「相撲クラブ」へ通うことになったとか。
でも、そこは体が中学生でも心は小学2年生。通い始めた頃は
「相撲をする環境があって親や先生に言われたからやっていた」
とやらされている感まんまんだったとか(笑)
最初はみんなこんなものなのかも?しれませんね。
学生時代の東桜山関
そんな東桜山関でしたが相撲の世界で「恵まれた体」は何にも勝る武器。
小学校時代には5,6年生時に2度も「わんぱく横綱(全国制覇)」し、徐々に
勝つ喜び、幸福感を体得し、と同時に負ける悔しさも同じくらい感じることとなります。
小学校を卒業すると、進学先は相撲の名門
明治大学付属中野中学校・高等学校へ進みます。
中央線で一本の八王子からとは言え立派な相撲留学ですね(笑)
中学校2年生時にはすでに身長187cm、体重155kgとそのまま横綱になってもおかしくない体格。
対戦相手もビビったでしょうね(笑)
中高時代にどのくらいの成績を修めたのかまでは分かりませんでしたが、学生相撲は個人戦の他団体戦も重要な種目。
同じ釜の飯を食べながらの6年間は心身共に大きく成長したのかな、と思います。
なんと言っても同期に元大関の栃東関(現玉ノ井親方)がいたわけですからね。相撲偏差値はかなり高かったのかなと思います。
そして大学はそのまま明治大学へ。これだけの体格の持ち主ですから角界からの誘いが多数あったと思うのですが、東桜山関は学生相撲の道を選んでいますね。
やはり、仲間との絆が大きかったのでしょうか。それとも意外に勉強好き?だったのかな。
詳しいことが分かり次第追記しますね。
大相撲時代
明治大学を卒業すると、いよいよ大相撲界への進出です。
所属部屋は同期で高校卒業と同時に入門した栃東関(当時は関脇)のいた玉ノ井部屋。
2年連続「わんぱく横綱」の称号を持つ東桜山関でしたが、大学時代は無冠だったそう。ここで全国制覇などの成績があればいきなり幕下デビューもあり得たのですが、文字通り一からの出発となったわけですね。
高校まで同窓だった栃東はすでに関脇。4年間で口もきけない天と地ほどの開きがあったそうですが、そこは同窓生、心の中では対等でずいぶん励みになったそうですね
引退の理由は?
足かけ9年に渡る大相撲界での戦いは同時にケガとの戦でもあったようです。
力士のケガで一番多いと思われる膝はもとより足首など下半身は常にどこかが痛い状態。
そこを庇っているといずれは腰にくるのは間違いないところ。もし、腰にきてしまえば・・・
と、主治医の先生からもドクターストップがかかり遂に「引退」決意したそうです。
現役最高位は幕下7枚目。もうあと一歩で十両への昇進が叶う位置までいきましたが
小学校2年生から都合24年間頑張ってきたの相撲人生に終止符を打つことになってしまいました。
引退後の転身が凄い!
さて、土俵一筋で頑張ってきた東桜山関。引退後はどのような仕事についたのでしょう?
時系列で追ってみますね。
引退直後、最初に手掛けたのはなんと、
ホームページ(HP)の制作とのこと。
今でこそHPはいろんなソフトやアプリのおかげでヤル気があれば誰でも制作可能な時代ですが
2007,8年当時と言えばまだまだ専門スキルが必要な時代。ソフトもハードもヤル気も必要だった頃ですね。
では何故そんな専門的なことを仕事に出来たかというと、実は当時の玉ノ井部屋のHPを東桜山自身が作っていたそうですよ。
もともとパソコンに興味があり趣味にもしていたとのこと。HP黎明期からすでに制作まで出来たというスキルを独学で得ていたという変わり種。
しかもHPの更新は作る以上にパワーを要するもの。性格も向いていたんでしょうね。
そして、その傍ら
元お相撲さんブログというのも始めていて
引退してからのことをご自分の言葉で綴っていますね。現役時代に相撲の傍ら身に付けたスキルが生きる場所ができたわけです。
ただ、ケガという自分の意志とは違うところで引退せざるを得なかったことがいろんな思いを吐き出したい気持ちにさせたのかな、とも思います。
そして、それらを片手間にまた他の仕事を始めます。それは・・・
現役時代の支援者や後援会の方の紹介で
ケーブルTV会社の営業、そして中堅スーパーの店員長さんなどです。
当時の詳しい話はブログなどを見てもらえればと思いますが、
持ち前のキャラクターでキャリアを積んでいったそうですよ。しかもチラシ作りに持ち前のパソコンスキルを活かし店の売り上げにも貢献したそう。
もちろんHP制作も会社にするほど順調に進んでいったとのこと。ブログの更新も飽きることなく続けていました。
そうこうしているうちにブログにいろんな問い合わせがきて
本の執筆・出版やTVCM、イベント出場など
元力士を前面に出せる仕事が舞い込むようになったとか。
あと、定番?のちゃんこ屋さんの運営も。
元東桜山の田代良徳さんが、「2017 CHANKO-1グランプリ」で優勝した。https://t.co/640BLKTE8c
— 佐々木一郎 (@Ichiro_SUMO) October 8, 2017
元玉ノ井部屋の田代さんが手掛ける浅草ちゃんこ場で元中村部屋の彩豪関(さいたま巡業勧進元)とあらじんオムライスの伊塚氏(元時津風部屋)と食事。現役時代の爆笑話で最高の週末。明日も頑張れます!TSUNAにとって前向きな良い話もらえたよ! pic.twitter.com/nV6nEc3Paw
— 竹内一馬 (@kazma_takeuchi) November 15, 2013
コツコツ積み上げるのって大事なことですよね~。
そして、その名声?は世界にも?
この投稿をInstagramで見る
この時の仕事もその一つだったようですね。
映画俳優ってほんとなの?
そしていよいよ俳優デビュー!です。
インドに漂着した力士とインドの青年との友情を描いた映画…
おお…まじか…https://t.co/3dSai7rXqU pic.twitter.com/n7AIiEdSpv— ににこ (@sumo_sumo_suki) December 11, 2019
元お相撲さんが巡りめぐって映画デビュー!しかもインド映画で。
詳しい経緯はこちらに譲りますが
【NEW】「力士がインドに流れ着く」という破天荒な設定のインド映画『Sumo』。この作品で力士を演じた日本人は、かつて東桜山として活躍した本物の力士でした。いったいどんな経緯でインド映画に出ることになったのでしょうか? #sumo https://t.co/9MbqrKXShe
— DANRO:ひとりを楽しむメディア (@DANROmedia) December 31, 2019
それもこれも
地道に人との繋がりを大切にし
元力士として正直に生きてきた
賜物なのかな?と思いますね。
「激レアさんを連れてきた」に出演!
詳しい情報、出た!https://t.co/s6rneA5WT4#激レアさんを連れてきた #インド映画#SUMO#東桜山#お相撲さんドットコム
— タポシతపోసి🤟తమన్నా (@_Tapas) March 11, 2020
そして、いよいよ地上波初登場?
人気番組
来週の『激レアを連れてきた』は!!
ぜひご覧ください!#激レアさん#お相撲さんドットコム pic.twitter.com/ugldKaCNBG— TASY (@tasyDex) March 7, 2020
に出演が決まっています。
番組タイトル通りとてもレアな生き様を紹介する内容ですが、
それだけに人生とは?を投げかけてきてくれる番組でもあります。
力士のセカンドステージとしても参考になるといいですよね。
まとめ
ただただ相撲に打ち込んできた東桜山関ですが
大学での勉強や学生時代の体育会系の体験、そして人との繋がりを大切にしてきた生き方などが今の姿を築き上げたと言ってもいいかもしれません。
素直に素敵だなと思いました。
相撲の解説やコメンテーターになれなくても(TV局からお呼びがかからなくても)
好きなことを仕事に出来ているということは
人生の夢の実現に成功したと言えるのかもしれませんね。
ご本人も気づいていないかもしれない才能なんだと思います。
TV出演がとても楽しみですね~。
以上
Sports News Deliveryでした。