2022全日本選抜体重別選手権60kg級で見事優勝し連覇を飾った古賀玄暉選手。父親が平成の三四郎と呼ばれた今は亡き古賀稔彦氏ということで注目されていますよね。あらためてどんな選手なのか調べてみました。
目次
古賀玄暉の名前の読み方
古賀玄暉選手の名前の読み方の読み方は”げんき”と読みます。
あまり見かけない字が使われているので一瞬迷う人も多いかもしれませんね。
この【暉】という文字ですが音読みで”き”、訓読みでは”かがやく””ひかる”と読みます。
そこに”玄人(くろうと)”という使われ方をする【玄】の文字。この文字には”奥深さ”という意味があります。
玄暉という名前には明るく光り暉けるように奥深い人間になって欲しい、そんな思いが込められているように思います。
いい名前ですよね。
古賀玄暉のプロフィール
【全日本選抜柔道体重別選手権大会抱負】古賀選手の抱負コメントです。@HGH346 #旭化成 #柔道 pic.twitter.com/vBpWrmUh0o
— 旭化成柔道部 (@asahikasei_judo) April 1, 2022
名前:古賀 玄暉(こが げんき)
生年月日:1998年12月19日
出身地:神奈川県川崎市
身長:168cm
体重:(おおむね)60kg
血液型:A型
階級:四段 60kg級(2022現在)
所属:旭化成
古賀玄暉が柔道を始めたのは?
父親がオリンピック金メダリストの古賀稔彦選手だということもあり、古賀玄暉選手が柔道を始めたのは3歳のころだったと言います。
スポーツに限りませんが、音楽でも芸術でもなんでも早くから始めるのって大事なんですよね。
きっと最初は親子でじゃれ合っている感じだったのかなと思いますが、その後は父親が始めた古賀塾へ所属。
柔道一直線の人生が始まっていきます。
古賀玄暉の出身中学・高校
古賀玄暉選手が通ったのは愛知県にある私立の大成中学校、大成高校です。
神奈川県川崎市でお生まれの古賀玄暉選手、実は1つ上の兄颯人選手と同じ道を歩みました。
関東圏にも柔道の強い中学校、高校はあるのでしょうが、わざわざ愛知県まで柔道留学をしたのには大きな理由があります。
それは、大成中学校、大成高校が柔道のとんでもなく強い学校だからというのもありますが、実は大成高校柔道部の監督が父古賀稔彦氏の後輩、石田輝也氏だったことです。
石田輝也氏は父親の古賀稔彦氏自ら「よろしく頼む」と託されたと語っていますからお二人の絆はとても固いものだったと思います。
先日、愛知県大成高校柔道部に古賀稔彦先生のご子息、颯人くん玄暉くんの取材に行かせて頂きました!
石田輝也監督ともツーショット頂きました
放送は6月21日(日)名古屋テレビ(メーテレ)
「SPOKEN!」24時45分頃〜
お楽しみに pic.twitter.com/zKAt55MtPD— オテンキのり (@otenkinori) June 15, 2015
古賀玄暉の出身大学は?
古賀玄暉選手兄颯人選手の後を追うように日本体育大学へ進学します。
📺今夜よる11時OA
昨年、「全日本学生柔道 体重別団体優勝大会」で初優勝を飾った、#日本体育大学 #柔道部。日本一連覇に向け、兄弟で戦う最後の大会に密着しました💪🔥
お楽しみに!(^^)!#柔道 #Judo #兄弟 #全日本学生柔道 #古賀颯人 #古賀玄暉#bs11 #キラボシ #葵わかな @AoiWakana0630 pic.twitter.com/Es8WKfNJRy— BS11スポーツ【公式】 (@BS11__SPORTS) November 26, 2019
大学柔道の強豪と言えば全国に数多ありそうな中、2人の兄弟が日本体育大学を選んだ理由は分かりませんでした。
ただ、日本体育大学は東京オリンピックで兄妹金メダリストの阿部一二三、阿部詩選手両選手が練習拠点としているとのことです。
#阿部一二三 選手を指導する日体大柔道部顧問の山本洋祐さんは「完璧な状態で試合を迎えてこそ一流だ」と声をかけ続けてきました #柔道 #judo
奪い返したトップの座 阿部一二三、世界王者対決を制す:朝日新聞デジタル https://t.co/y1XYzm4x1K
— 朝日新聞スポーツ (@asahi_sports) December 13, 2020
きっと練習環境がよかったり、指導者の総監督山本洋祐氏がいることも理由の一つなのかもしれません。
古賀玄暉に彼女はいるの?
日本体育大学を卒業しいよいよ社会人としての道を歩み出した古賀玄暉選手。
古賀選手まじで上手やった!お父さんのDNA引き継いどんなって感じた
オリンピック目指して頑張ってください💪 #柔道 #古賀玄暉 pic.twitter.com/dx2CZrlfYp— 亀ちゃん (@Kame_Chan_Judo) April 3, 2022
柔道家としてはこれ以上ないスタートを切れたのではないでしょうか。
ですが、それだけだと人生全体からみると少々物足りないはず。同じ道を同じ方向を見ながら一緒に歩んでくれる、そんな相手がいるのかな?と思い少し調べてみましたが
今のところその相手は”柔道”だけのようですね。
まずは2024パリ五輪が大きな目標なっているでしょうから一心不乱に突き進んでいって欲しいと思います。
古賀玄暉の父親について
最後にたびたび前述してきましたが、父親の古賀稔彦氏について少しばかり書きたいと思います。
すでに周知のように古賀稔彦氏は2021年3月にご病気により他界されています。
2021年3月24日 古賀 稔彦(こが・としひこ)【柔道】
戒名「金剛院献柔稔制大居士」
享年53#古賀稔彦#バルセロナオリンピック金メダリスト。#平成の三四郎pic.twitter.com/92INMg1Hkg— 命日bot (@meinichi_bot1) March 23, 2022
現役当時を知る者としてはとても悲しく、またとても驚いたことを思い出します。
それから1年以上が経ってしまいましたが、とある記事を目にしたので書いておきたいと思います
どんなに強いと思われている選手でも、心の中は人それぞれ。
ですが、強くなりたいという思いの原動力は意外とこんなところにあるのかも、と思ました。
どこまでもご自分に正直に生きてこられたのだろうと思います。合掌
まとめ
「古賀玄暉(柔道)の名前の読み方は?中学・高校や彼女wiki風プロフィール」をまとめました。
古賀玄暉選手父親の後を追い新たに令和の三四郎たり得る柔道家です。勝ちに奢らず、弱さの克服のために強くなる、という古賀イズムをどこまでも追い求めていって欲しいですよね。
応援してますよー。
以上
Sports News Deliveryでした。